3月11日でした|sachi & aki co. サチアンドアキコーポレーション-ありがとうの花束-
3月11日でしたありがとうを伝える、ハガキ(ポストカード)、クリスマスカード、年賀状の専門店

pc-logo_2nd

3月11日でした

cc353f00b1501764164c93dc4733ede0
2011年、3月11日。東日本大震災が起こりましたね。あれからなんと10年経ちました。しかし、未だに不自由な生活を余儀なくされたり、困っている方はたくさんいます。
10年前のあの日、kouhiは群馬で被災しました。
被災地から直線上にある群馬県太田市の我が家は、もともと水田をつぶした上にマンションが建っていたようで、地盤が緩かった。震度6の揺れは、家じゅうの火災道具をなぎ倒し、冷蔵庫も、洗濯機も、食器棚も倒れました。時間にして5分もないぐらいでしたが、その惨状は今も忘れることが出来ません。食器という食器は全部割れました。残ったのはおまけでもらったような、ラスカルのお皿とかだけになっちゃった!
まだ子供たちが小さかったので、余震の中子供たちを迎えに行くのが本当に怖かったのを覚えています。

その時のことで、印象的だったことを書いてみるとマンションにもかなり亀裂が入ったので、次に大きな地震が来たら倒壊するかもしれない!とか思って携帯に警報が鳴るたびに、飛び起きて外に出て行ってました。
TVからは、ずっと津波の映像が流れていて、どんどん心が不安定になっていきました。交通網も分断されていたので、どこにも行けない離島のような気持になってしまい、北海道にも帰れない~と非常にネガティブになったと思います。
そんな中、TVを見てちゃいけないって明子さんからの電話。見れば見るほど不安が募ってましたので、すぐにTVは消しましたね。それが本当に良かった。
そっから後は、計画停電など夜をろうそくや、懐中電灯のみで過ごす日が続きましたが、家族でボードゲームしたり、懐中電灯で外に行ってみたり、街頭がない町は星がとってもきれいだった。
大変な中でも心の持ち方ひとつで、豊かな時間は過ごせるんだと思います。ただ備えあれば憂いなし。
喉元過ぎれば熱さを忘れるにならぬように。いざというときの災害にはしっかり備えておきたいですね!